女神の剣の代わりに、主人公が手にしたものとは


映画『由宇子の天秤』より


 映画『由宇子の天秤』の主人公・由宇子(瀧内公美)は、正義の女神テミスのように、剣を持たない。剣の代わりに、スマホのカメラを片手に、真実を見つめようと瞳を凝らす。 

 ドキュメンタリー監督の由宇子は、事なかれ主義のテレビ局プロデューサーからの横槍にも怯まず、富山(川瀬陽太)たちと、女子高生いじめ自殺事件の真相を、果敢に追いかけていた。忙しない本業のかたわらで、由宇子は、父親(光石研)が長年経営する学習塾も手伝っていた。ある日、入塾したばかりの女子高生・萌(河合優実)から、彼女は父に関する衝撃の事実を聞かされる。

 誰にも肩入れせず、真実を明らかにすることが、誰かを、そして世の中を、救うことができると信じる、由宇子の天秤が、狂い始める。失うものの大きさと嘘の重さを秤にかけるうちに、彼女の正義のバランスが危うくなっていく。そんな彼女に見入っていると、果たして私の天秤も狂っているのではないか、という思いがよぎり、落ち着かない気持ちになっていく。


 剣を持たない由宇子はしばしば、父親や塾生、取材相手らと一緒に、箸やスプーンを握り、ドーナツをちぎる。ささやかな食事のシーンの温もりに、慰められる。取材終わりに由宇子と、自殺した息子の好きだったパンをほおばっていた母親(丘みつ子)が、ふと「お茶を淹れるから、飲んでいってくれる?」と言い出すシーンが印象的だった。誰かとお茶を飲む、とりとめのない時間の尊さを、この母は長い間、忘れていたのだろう。たとえ由宇子の正義(に対する高い理想)が以前より曇ったとしても、彼女が、誰かと食事を共にするよろこびを思い出させ、世界じゅうのどこかに、その人の居場所があるという安らぎを与えていたことは、まぎれもない事実だ。そのことに、救われる。

 ラストシーンで、由宇子はひとりだが、彼女を心配する仕事仲間から電話がかかる。家ではきっと、父が娘の帰りを待っているだろう。153分の最後に、ひとりではないことのあたたかさを見た。こんな、ささやかな事実の積み重ねが、真実になっていくのかもしれない。



『由宇子の天秤』

監督・脚本・編集/春本雄二郎 プロデューサー/春本雄二郎、松島哲也、片渕須直 出演/瀧内公美 、河合優実、梅田誠弘、松浦祐也、和田光沙、池田良、木村知貴、川瀬陽太、丘みつ子、光石研ほか 配給/ビターズ・エンド 製作/映画「由宇子の天秤」製作委員会 2020/日本/カラー/153分 2021年9月17日(金)渋谷ユーロスペースほか全国順次ロードショー ©️2020 映画工房春組 合同会社

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