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いつかこの部屋を思い出してきっと泣いてしまう

ドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」

 本当は互いに思いあっているのに、精神的に危うい恋人を見捨てられないと正直に頭を下げる錬(高良健吾)と、それをきちんと受け止める音(有村架純)。そして後半では立場が逆転し、荒んでいた自分を救ってくれた音にまっすぐ思いを向ける錬。しかし音は自分には婚約者がいると告げ、その相手のどこに惹かれたかを静かに話す。それを聞いた錬は自分の気持ちを飲み込み、半分は本心で「好きな人ができてよかった」と応える。なんて凛とした二人だろうか。いやいや恋愛ってもっとぐずぐずと割り切れないものだろう、とも思うが、そういうドラマは数多あるので、たまにはこういう端正で美しいやせがまんを見せてもらうと本当に嬉しい。

 「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」は、とてもまっとうな恋愛ドラマだ。下手な恋愛ドラマは物語の中心点を「恋」に置くことと、物語のすべてを「恋」中心に描くことを混同しがちだが、本作で描かれる「恋」は、登場人物たちの人生とちゃんと地続きになっている。

 8話の冒頭で、音に元恋敵の木穂子(高畑充希)が「恋愛は衣食住」と語る。最初は自分を着飾るためにして、次に心の栄養になる。そして最後に住むものになる。「落ち着く場所っていうか、まあ、簡単に言ったら結婚やね」と。

 木穂子が帰った後、音が寝る前に炊飯器をセットしている。そして朝、炊きたてのご飯の湯気を幸せそうにすいこむ音。カットが変わり、静恵(八千草薫)の家の台所では練がお弁当のおかずをつめ、おにぎりをにぎっている。そして再び音の部屋へカメラが戻ると、音が手に持ったおにぎりをかじりながら仕事へ行く準備をし、それからラップで小分けしたご飯を冷蔵庫へ入れる。

(話はそれるが、ここでご飯が冷めたかどうか確かめるため、音がそっと指の背の方で触る繊細な仕草が素晴らしかった。そう、微妙な感触を確かめるときって、こんな風に指の腹じゃなくて背を使う。これ、脚本に書かれていたのか演出家の指示なのか本人の自然な動きなのか、ぜひ知りたい)

 この場面はそこから引越しの現場で働く錬と、介護施設で忙しくかけまわる音、二人の日常を交互に映し出す。それぞれが自分の場所で精一杯生活している。そして、5年前よりもそこは二人にとって居心地のいい場所になっている。その一連のシーンを見て、これは「居場所を探す」物語でもあるのだなと、あらためて思った。

 7話で婚約者の朝陽(西島隆弘)にプロポーズされた音は、もう少し待ってほしいと答える。理由は、ようやくやりたい仕事ができるようになってきたところだから。そしてもうひとつ、この部屋を出たくないのだと。東京に出てきて初めて住んだ部屋で、家具もなにもかも全部自分で揃えたもので、ここは生まれて初めての「自分だけの居場所」だから離れたくない。プロポーズに対して「引っ越したくないから待って」とは、なかなか書ける台詞ではない。もちろん本当の理由は(音は無自覚だろうが)相手が練じゃないからだということは視聴者の誰もがわかっている。けれど、この「部屋を出たくない」という言葉も、札幌の養父母のもとで肩身の狭い思いをしながら生きてきた音が口にすると切実なリアリティがある。

 仕事を辞めたくないのも、部屋を出たくないのも、どちらも「自分の居場所を失くしたくない」ということだ。大阪、札幌、東京と移り住んできた彼女が、初めて自分の意志で根を下ろした場所。端からみればなぜそこまでこだわるのかと思うかもしれないが、当人にとって他の別の場所へ移るというのは、それほど簡単なことではない。そこには東日本大震災や原発事故で故郷を離れざるを得なかった人々の思いが淡く映しだされているようにも思える。

 自分の好きなものや馴染んだものだけが揃っている一人暮らしの部屋にいると、居心地のよさにうっとりすることがある。音のように、それらのすべてが自分で稼いだお金で揃えたものだったら、きっと誇らしくさえ思うだろう。一方で、そんな居心地のいい部屋をずっとながめていると、次第にその世界の狭さにも気づいてしまう。自分が好きなもの、持てるもの、知っているものの少なさ。それに気づいてしまったら、別の誰かが見ている世界を見たくなるし、自分の見ている世界を誰かに伝えたくなる。音が、母親の葬儀の日に見た本当にきれいだった空の話を練にしたように。そうやって世界を共有していくことが、木穂子がいう「恋愛は衣食住」の最後、お互いが相手の居場所になるということなんだろう。

 今夜から物語は終わりに向かう。音はあの居心地のいい小さな部屋を出ていくだろうか。行くとしたら、どんな新しい場所へ向かうのだろうか。そこに連れていってくれるのは“引越屋さん”のトラックだろうか。

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「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」

フジテレビ 毎週月曜日 夜9時00分~

脚本/坂元裕二

演出/並木道子、石井祐介、高野舞

プロデュース/村瀬健

音楽/得田真裕

出演/有村架純、高良健吾、高畑充希、西島隆弘、森川葵、坂口健太郎、高橋一生、松田美由紀、小日向文世、八千草薫 他

制作/フジテレビドラマ制作センター

シナリオブック「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう1」

坂元裕二(河出書房新社)

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