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私的名台詞#3<br>「花も実もつかないけど、なんかの役には立ってんのよ」

映画『海よりもまだ深く』

 古ぼけた団地のベランダで、年老いた母・淑子(樹木希林)が、すっかり中年になった息子の良多(阿部寛)に朗らかに語りかける。昔、彼が植えた蜜柑の木に水をやりながら。夫を亡くし、住み慣れた団地で気ままに暮らす淑子が、毎日せっせと手入れを欠かさないので、木は立派に成長している。花も実もつけないけれど、青々と茂った蜜柑の木に、人生につまずきっぱなしの息子を重ねて、母はそうつぶやいたのだ。「海より深く人を好きになったことなんてないから生きていける」とうそぶく母の愛は、海よりも深い。

 15年前に一度文学賞を獲ったきりの、売れない自称作家の良多は、周囲にも自分自身にも「小説のためのリサーチ」と言い訳をして、探偵事務所に務めている。そんな夫に愛想を尽かして、響子(真木よう子)は、11歳になる息子・真悟(吉澤太陽)と連れて離婚した。ギャンブルがやめられず、養育費もろくに払わないくせに、息子には見栄を張りたいし、元妻に新恋人ができればショックを受ける。プライドだけは笑っちゃうほど高い、良多の頼みの綱は母である。小学生の息子に心配されるほど、お金に困っている彼は、母の留守に実家に上がり込み、金目のものを漁る始末。すねかじり息子に「大器晩成って、時間かかり過ぎですよ」とツッコミつつも、母の愛には揺るぎがない。そんな母を見かねた姉の千奈津(小林聡美)は、金の無心に来た弟に「甘えないでね、私にも、お母さんにも」と釘を刺すが、過去に執着し、いまを見ようとしない良多の心には響かない。

 真悟との面会日に台風がやって来て、図らずも淑子の家で一夜を共にすることになった、良太と響子と真悟たち元家族。昔、良多が父親としたように、良多は真悟を誘って、真夜中の公園に出かける。タコの滑り台の中で不意に「パパはなりたいものになれた?」と訊ねられた良多は、言葉に詰まってしまう。

 作家としても(探偵としても)、夫、父親、息子、弟としても、どの役割もまともにできていない良多は、たしかに甘えている。いつでも訪ねれば、母の精一杯のもてなしを受ける(カルピス氷やカレーうどんのおいしそうなこと!)彼は、いまもなお甘やかされた、幸せな子どものままなのかもしれない。大人としての責任上の問題は多々あるものの、家族の愛を受けてのびのびと育った良多は、久しぶりに会った幼なじみや興信所の年の離れた後輩(池松壮亮)とも屈託なくつき合える、母譲りの懐っこさを備えている。思い通りにはいかない人生だけれど、息子にドラマチックな台風の夜の思い出を残せる彼は、きっと何かの役には立っている。花も実もつかない蜜柑の木が、ひとり暮らしの母を慰めたように。湿気たおせんべいの味を、真悟はずっと忘れないだろう。

『海よりもまだ深く』

原案・監督・脚本・編集/是枝裕和

出演/阿部寛、真木よう子、小林聡美、リリー・フランキー、池松壮亮、吉澤太陽、橋爪功、樹木希林ほか

配給/ギャガ

製作年/2016年 製作国/日本

カラー117分

5月21日(土)丸の内ピカデリー、新宿ピカデリーほか全国公開  gaga.ne.jp/umiyorimo

©2016フジテレビジョン バンダイビジュアル AOI Pro. ギャガ


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