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穴に落ちる、川を泳ぐ

映画『空(カラ)の味』

 不幸ではないことと、幸せであることはイコールじゃない。けれども不幸ではないのに幸せを感じられないと、うしろめたさを覚えてしまう。

 この物語の主人公、聡子(堀春菜)もそんな人間の1人だ。

 両親と兄のいるおだやかな家庭があり、部活で汗を流し、友達とおしゃべりに興じる日々。けれど、ふとしたことで崩したバランスが取り戻せない。母親の手作りのお弁当をあやまりながらトイレに流し、コンビニで買ったジャンクフードを貪り、そして吐く。

 25歳の塚田万理奈監督が自身の経験をもとに描いた本作は、「摂食障害」というキーワードが注目されがちだが、実際にはとても普遍的な、誰にでも起こり得る出来事を描いている。

 最初はたいしたことのないように思える小さなゆらぎが、止められないままどんどん大きくなり、深い穴へ落ち込んでいく。多かれ少なかれ、そういう経験は誰にでもあるだろう。 

 物語の前半では、その過程が丁寧過ぎるほど丁寧に描かれていく。淡々と映し出される日常生活のなかで、聡子が見せるふとした仕草や視線の揺れが、追いつめられていく彼女の心の内を痛々しいほどに表現している。それは、いわば「私小説」的な作品にも関わらず抑制をきかせて静かに物語を紡いだ塚田監督の演出力と、それに応えた堀春菜の繊細で的確な演技があればこそだ。

 たとえば友人の家に寝泊まりさせてもらうようになった聡子が、彼女と母親が並んで台所に立つ姿を黙って見つめるシーンがある。思ったことを素直に言い合い、じゃれるように口喧嘩をする二人をただ見つめる聡子。その視線から、見る側は彼女がバランスを取り戻すために足りなかったもののひとつが何かを悟る。そして物語の終盤で、聡子の兄が彼女にかけたある台詞に安心し、泣けてくるのだ。

 この台詞はまた、兄が聡子のことをきちんと見ていたということの証でもある。この作品が自家中毒に陥っていないのは、こんな風に「聡子が見ている世界」と同時に「世界のなかの聡子」がきちんと描けているからだろう。

 物語は後半、カウンセリング先の病院で聡子が出会ったマキ(林田沙希絵)の登場により、〈静〉から〈動〉の方向へ大きく舵を切る。本人も精神的にバランスを取りにくいマキが、自分より幼い聡子が悩み苦しんでいる姿を見て「聡ちゃん、おもしろい!」と明るく言う姿の、危うさと美しさ。そして次第に守る方と守られる方が入れ替わっていく。会話と表情でそれを見せる役者二人の演技力と、それを損ないも盛りもしない冷静な演出がここでも冴えている。

 道に空いている穴に、気づかず落ちてしまうことがある。それを「注意深く歩いていなかったからだ」と責める人もいるだろう。「落ちたら大変だからいつも足元に気をつけて歩け」と諭す人もいるかもしれない。けれど、多くの人たちがその穴に落ちないですんでいるのは、たまたま運が良かっただけなのだ。

 そして、たとえ穴に落ちたとしても、その穴はどこかに続いているかもしれない。暗闇のなかを流されても、最後はゆるやかな大きな川につながっているかもしれない。そして、その河原の土手を、懐かしい誰かがのんびりと歩いているかもしれない。もしその誰が穴に落ちたとしても、それはどこか遠くの川につながっていて、きっと彼女もその川を泳ぎきるだろう。

 クライマックスの印象的なシーンを見ながら、そんなことを思った。

 とある幻想的な場面以外は劇伴を一切使わず、強い主張も大げさな演出も一切なし。ただ、光だけがいつもやわらかく美しい。

 とてもきれいなものを見せてもらった。そんな気持ちになる作品だった。

『空(カラ)の味』

監督・脚本/塚田万理奈

出演/堀春菜、林田沙希絵、松井薫平、南久松真奈、井上智之、イワゴウサトシ、柴田瑠歌、松本恭子、笠松七海

製作年/2016年 製作国/日本 カラー125分

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