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2023夏の思い出


 夏の京都で、数年ぶりに自転車に乗った。中高6年間、自転車通学でならした自負から、何の不安もなかったのだが、漕ぐうちにじわじわとお尻が痛くなったのには驚いた。これがお尻の筋肉が落ちるってやつか? 中年になり、中性脂肪という名の、お腹の猫がどんどん肥え、下腹部を侵食しているというのに、後ろはげっそりしていくなんて、歳をとるとは、なんと不恰好なことだろう。


 そんなことを考えながら、同世代のお尻が気になった映画を思いだした。「こんにちは、母さん」(9月1日公開・山田洋次監督)で、吉永小百合扮する、母さんの息子、昭夫(大泉洋)である。久しぶりに訪れた実家で、なぜか若返っている母さんに戸惑う昭夫は、ドヤドヤと押しかけてきた、母さんの新しい仲間たち(母さんはボランティア活動をはじめていた!)を、両手でお尻を支えるようにして、踏んばって出迎える。妻との別居がバレて、ソファでふて寝を決めこむ愚息に、母さんがやさしく座布団をあててくれたときや、不機嫌な娘(永野芽郁)に布団を敷いてもらいながら聞かされた、母の恋話にうんざりしたときも、昭夫のお尻にフォーカスがあたる。大学時代からの友人で、同期の木部(宮藤官九郎)と並んで、酸辣湯麺をすするときも然り。お尻に目がいく近しさに、昭夫は愛されているんだなあと思う。

 実際、昭夫のお尻は、ちいさくてかわいい。50代なんて、まだまだ若いということだろうか。作中、20代の娘に至っては、常に薄いお腹を出している。一方で近森眞史のカメラは、ミシンをかける母さんの手のしわも捕らえる。デニムのエプロンがよく似合う、若々しい母さんだが、瓶詰の蓋は固くて、開けられないし、老眼も進行中だと嘆く(推定70代なら、普通である)。さらに母さんより歳上らしいイノさん(田中泯)の存在感と言ったらどうだろう。生活保護の申請を断固拒否する、ホームレスのイノさんが、大量の空き缶を積んだ自転車ごと転ぶ姿は、山が倒れるような迫力だった。そんなときでもイノさんは、毅然と助けを拒み、自力で起きあがろうとする。彼の意地を象徴するような、強靭な肉体に、ただただ圧倒される。言問橋の上で、イノさんから、東京大空襲の話を聞いた昭夫の、泣きそうな顔は、まるで子供に見えた。でも恰好悪くはない。会社や家庭の問題を独りで抱えこんでいた昭夫は、母さんの暮らす下町を訪れるようになってから、母さんや実家に出入りする人々に弱音や本音を吐くうちに、本来の自分らしさと元気を取り戻していく。どんどん明るくなる昭夫の顔が印象的だ。

 カメラは、登場人物たちの足もとも狙う。娘だけが知っている、革靴をピカピカに磨く昭夫の癖や、嫁のよそいきの足もとから、母さんが勘づいたこと、母さんが孫に聞かせた、足袋職人だった夫のプロポーズの思い出や、祖母に素足をさわられて、恥じらう孫とのやりとりなど。そういえば、タイトルコールとなる冒頭シーンで、昭夫が店先で「こんにちは」と声をかけたとき、母さんは息子に気づかなかった。家族とはいえ、さもありなんである。


 8月の終わりに、下高井戸シネマで観た「おーい!どんちゃん」(沖田修一監督)のタイトルコールは、ちょっと遅い。しかし、ここぞ! という絶妙なタイミングでやって来る。3人の売れない俳優たちが、家の前に置いていかれた赤ちゃんを「どんちゃん」と名づけて、何年も育てる。彼らが近所の公園で遊んでいて、3人も父親がいるどんちゃんに、息子と一緒に来ていた俳優の山中崇が驚く場面があるが、戸惑いながらも彼らは、どんちゃんのおむつを変え、ミルクの後はゲップをさせ、かいがいしく離乳食を作り、泣かないように寝かしつけることを、当たり前のこととして受け容れる。3人の中で、どんちゃんの父親らしい、えのけん(大塚ヒロタ)が、突然の事態にフリーズしてしまっても、道夫(坂口辰平)がドラッグストアに走り、郡司(遠藤隆太)は見よう見まねでミルクを作る。相手に無理を強いらず、それぞれができることをやっていく。そうやって生活が回り、安心のなかで、どんちゃんは成長していく。彼らのやさしさがちゃんと伝わったどんちゃんから、後半、インドから帰ってきた道夫の問いかけに、名台詞が飛びだす。

 沖田監督が個人的に制作した本作、特別な機会にだけ、劇場で上映する予定とのこと。9月1日から1週間、京都・出町座でぜひ。


 写真は、高野川。自転車で風を切って、街中を走るのは、とても気持ちよかった! 秋からも乗るつもりだ。


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