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恋人とみちくさ

映画『恋人たち』

 あまりにも泣きすぎて、ディテールを忘れてしまうほどだった。登場人物の不器用さがイタすぎて客観視できなかったのだ。彼らの表情はもとより、発する言葉も心情的で、うまく消化されない。「いいバカ、悪いバカ、タチの悪いバカ」とか「豚とニワトリ」のたとえ話とか。あれはどういう意味だったのか? などと、しばらく余韻に浸りながら、タイトルの意味を考えていて、まさに橋口映画は、自分にとって“恋人”のような距離感にあると思い至った。

 2006年にNHKで「みちくさ」という単発ドラマが放送された。現在、朝ドラ「あさが来た」を手がける西谷真一が演出。脚本を、橋口亮輔監督が手がけた。女優の池脇千鶴扮する「前向きって言葉が苦手」なヒロイン・亜紀が、佐々木(温水洋一)と日本海へ旅に出て、ウザい自分とのつき合い方に気づいていく佳品に「人の気持ちって、重いじゃないですか」というセリフがある。“行きずり”というと言葉が悪いが、ほんの一瞬、自分の手に持て余してしまった重たいものを持ってもらったり、あげたりする関係性と言えば、わかりやすいだろうか。

『恋人たち』には、3人の主人公が登場する。通り魔に妻を殺されたアツシ(篠原篤)は、諦めたり、黙ったりして、妻を失った悲しみが癒えるのをじっと待っている。しかし、どうにも呑み込めない後悔と怒りを、ついに会社の黒田先輩(黒田大輔)にぶちまける。静かに聞いていた黒田先輩は「俺は、あなたともっと話したいと思うよ」とアツシに微笑む。自分に関心のない姑と夫と共に生活する家と、パート先の弁当屋を往復する瞳子(成嶋瞳子)は、退屈な日常の中に突如現れた、どう見ても胡散臭い藤田(光石研)に急速に惹かれていく。平気でニワトリをしめる藤田のワイルドさや、大金を無心される疑念以上に、自分の書いた小説を読んでくれたことに、瞳子は舞い上がる。自他公認のエリート弁護士・四ノ宮(池田良)は、学生時代からの親友・聡(山中聡)に密かに思いを寄せ続けていた。妻子のいる聡への気持ちを上手く隠して、彼のそばにいる幸せを永遠に感じるはずが、聡の妻の差し金で関係は破綻。一方的に切られた電話の向こう側にいるはずの聡に、積年の思いをぶちまける四ノ宮の声は届かない……。

それぞれにさびしさを抱えた主人公たちは、誰かに自分の話を聞いて欲しがっている。否定されると立ち直れないほどの、素直な感情ゆえに“家族”ほど一蓮托生の間柄では憚られる。意味不明な言葉でも、体内から飛び出した心からの呟きに、ただやさしく相づちを打ってくれるだけでいい。たぶん私は、橋口映画のこの距離感が好きなのだ。ズケズケと心に踏み込んでくるのではなく、そっと傍らにいてくれる感じ、まるで“恋人”のように。思いを言葉にするということは、言葉にしなくても、体温で(相手の気持ちを)察するという、甘ったるい関係とは違い、適度な冷静さと礼儀正しさを要する。そして彼らは話を聞くだけで、具体的に問題を解決してくれたりはしない。最後は自力でなんとかするしかないのだ。映画のラストで、アツシが自分に「よし!」と言い聞かせて、笑顔を取り戻したように、幸せな時間が過ぎても、私たちは生きていくのだから。

 観終わった後、登場人物たちの至近距離にいる、いじけた自分も許してもらえたような、のびのびとした気持ちになっている。生きるとは、自分の居場所を作ることだ。ふとくたびれたとき、橋口映画は、海へ連れ出してくれる、道草につきあってくれるような存在なのかもしれない。大人になっても、家族ができても、恋人がいるなんて、とても幸せなことだ。

『恋人たち』

原作・監督・脚本/橋口亮輔 

出演/篠原篤、成嶋瞳子、池辺良 

配給/松竹ブロードキャスティング、アーク・フィルムズ 

テアトル新宿ほか全国にて公開中

(C)松竹ブロードキャスティング/アーク・フィルムズ

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