文子さんから


漫画 『ドミトリーともきんす』

 年に数回は『るきさん』を読み返す。あの話だけ、と思って手をのばしても一度ページをひらいてしまったらその手は止まらず、たいていおしまいまで読みきってしまう。かれこれ何度、るきさんの「それではチャオね」というあいさつを読んだことだろう。

 その『るきさん』の原画が見られるとあっては足を運ばぬわけにはゆかぬ、と、11月半ばの雨の土曜日、目白のブックギャラリーポポタムへ高野文子作品原画展を見にいった。

 小さな展示室には、『るきさん』『黄色い本』『ドミトリーともきんす』の原画がそれぞれ2見開きずつ、飾られていた。思ったとおり。たたみに寝そべったるきさんのスーッとのびた足も、洗濯ものをもってかがむえっちゃんのふんわりした輪郭も、迷いのない線で一気に描かれている。この人は本当に「線」に愛されている、とあらためて感じた。

 高野文子の絵は空中でボールが描く放物線や真冬に梅の木が空へぐいと伸ばす枝のような、自然が描く線と同じ心地よさを持っている。描いているというよりも、むしろ体のなかから線が自然にあふれだしているようで、だから彼女の漫画は台詞と同じくらいに線が物語を紡いでいく。

 その日、展示室の片隅に予約をすれば著者の直筆サイン入りの本を後からお送りします、という受付があったので、『ドミトリーともきんす』を予約して帰った。

 高野文子の12年ぶり(!)の最新刊『ドミトリーともきんす』は、朝永振一郎、牧野富太郎、中谷宇吉郎、湯川秀樹という4人の科学者たちが書き残した言葉をテーマにした本だ。とも子さんと幼い娘のきん子さんが空想のなかで営む下宿屋「ドミトリーともきんす」。その2階に暮らす4人の若い科学者たちがそれぞれの研究について、科学とは無縁のふたりにやわらかな言葉で語り、ふたりもかろやかにそれを受けとめる。そのなかから物理学や植物学、雪の科学など彼らが取り組んでいた学問の「芯」が見えてくる、という趣向だ。

 あとがきには、この本を描くにあたって

「まずは、絵を、気持ちを込めずに描くけいこをしました」

 と書かれていた。そして、彼女はこう続ける。

「自分のことから離れて描く、そういう描き方をしてみようと思いました」

 自然科学の本の読後感が小説とは違って「乾いた涼しい風が吹いてくる」ようで気に入ったことがこの本を描くきっかけだったそうだ。その涼しい風に近づくため、これまで漫画を描くときには一番にあった自分の気持ちから離れ、「頭からしっぽまで、同じ太さが引ける」製図ペンを使った静かな絵で、“科学する人たち”の 視線のゆくえや言葉をたどろうとした、と。

 けれど、むしろわたしにはこの本が高野文子という人の素顔を垣間みせてくれたように思えた。とりあげられた科学者の言葉やその読みとき方はいかにも高野文子らしかったし、なにより彼女がまっすぐにこちらを見て話しかけている、そう感じる場面があったのだ。

 おはなしは毎回、とも子さんがそのなかで紹介した本について読者に向かって語りかける場面で終わる。そのなかのある回で、はっとするほどまっすぐな視線を感じた。高野文子が描く作品はいつでも「わたしはこう思うんだ」という彼女自身の気持ちをふわっと投げてもらったような手触りで、この本もほとんどがそういう感触なのだが、この場面だけは「あなたはどう思うのかな」と問いかけられたような、そんな気がしたのだ。

 製図ペンで描かれた線は、たしかにいつもとは少し違うタッチだが、それでも消えないのびやかな心地よさがあった。シンプルな線と点だけで描かれたとも子さんの顔も、ほんの少しの加減で嬉しそうだったり、楽しそうだったり、少しはにかんでいたりと表情ゆたかだった。

 原画展から一月ほど経ってポストに届いた『ドミトリーともきんす』の表紙をめくると、少しおおきくなったきん子さんか、あるいは子どもの頃のとも子さんか、おかっぱ頭のかわいい女の子が手をふってくれていた。

 ぽつんと描かれた黒い二つの目から、こちらをまっすぐに見つめる強い視線を感じたり、ほんの20本足らずのやわらかな曲線だけでこんなにかわいい女の子がこの世界に現れることも、わたしにとってはトモナガくんやユカワくんが研究している物理学とおなじくらい不思議なことに思える。

『ドミトリーともきんす』

著者/高野文子

出版社/中央公論新社

発売日/2014.9.24.

1296円(税込)

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