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俳優 安田顕

ドラマ「ミエルヒ」

 “昏い”という言葉が好きだ。

 特に人物を言い表すとき、“暗い”でもなく“陰気”とも違う。日が暮れて世界が淡々と色を無くしていくときのような、そんな雰囲気を持つ人を“昏い”と呼びたい。

 5年前、HTBスペシャルドラマ「ミエルヒ」を見て、まっさきに頭に浮かんだのがこの言葉だった。報道カメラマンとして世界各地の戦場を駆けまわっていたが、ある事情から仕事を辞め10年ぶりに北海道・江別町の実家へ戻ってきた剛(安田顕)。石狩川でヤツメウナギ漁を細々と続ける父・幸介(泉谷しげる)は、自分を嫌って町を出て行き、音信不通だった息子が突然帰ってきたことに戸惑いを隠さない。過疎の町には仕事も少なく、地元に残った同級生たちからは厳しい言葉を投げかけられる。それでも行くところがなく、ここに帰ってくるしかなかった。そんな行き場のない男のぼんやりとした“昏さ”を、安田顕は見事に体現していた。

 北海道テレビが96年からほぼ毎年、制作しているHTBスペシャルドラマ。本作とその前後2作はプロデューサー・嬉野雅道、演出・藤村忠寿という「水曜どうでしょう」スタッフが手がけている。

 ドラマの冒頭、すべるように移動するカメラが鈍色の水面を映す。雲間からさしこむ太陽の光が川面をやわらかく照らし、その先に製紙工場の煙が立ち昇る煙突が見えてくる。

“「ミエルヒ」は、企画・原案の嬉野雅道が出会ったひとつの風景から始まりました。江別市を流れる石狩川とそこに浮かぶヤツメウナギ漁の小舟。そして川の向こうに建つ製紙工場の煙突から立ち昇る白い煙。その景色を見て「なぜかほっとした」という彼の思いを原点に、そこにしか帰る場所のない父と息子の思いを淡々と描いたドラマです”

 これは本作のもう一人のプロデューサーであるHTB福屋渉氏の言葉だ。たしかに石狩川のその風景は、本作のもうひとつの主人公といえるだろう。カールツァイスのレンズとREDというデジタルシネマカメラを使った映像には、独特の透明感とやわらかさがある。悠々と流れる川の水面の艶やかなきらめき。舗装にひびの入った細い道と遠くに見える製紙工場。そしてそこにふりそそぐ、低くたちこめる雲の合間からこぼれる光。撮影担当の鈴木武司が切りとるなにげない風景は、いつまでも眺めていたくなるほど優しくて懐かしい。

 登場する人々も、ひとりのこらず魅力的だ。息子がなにを考えているかわからないまま、それでも受け入れる幸介を普段より静かな佇まいで演じた泉谷しげるのしみじみとした味わい。幸介と再婚する予定のスナックのママ・厚子を演じる風吹ジュンの色っぽさと愛情深さ。幸介の漁師仲間で、女手一つで息子を育ててきた嘉代(根岸季衣)の気っぷの良さとタフな生命力、そしてそれとは裏腹に心の底に抱えた悲しみ。厚子に惚れているスナックの常連客(渡辺いっけい)と漁協の組合長(藤村俊二)の二人も、脇で物語に彩りを添える。

 また、嘉代の息子・秀夫を演じた中野英樹のにじみでるような心優しさ(ちなみに彼は「おかしの家」第3話でも旧姓・鈴木清美の夫、中村さん役であたたかな印象を残していた)と、剛の同級生で地元商店街で実家の花屋を手伝うサキ(萩原利映)の地に足のついた明るさは、ベテラン組に負けない魅力を放っていた。藤村Dと個人的に知り合いで出演が決まったという東京03も剛の同級生役で顔を見せる。本作が3人揃ってのドラマ初出演で、「キングオブコント」優勝は、収録のほんの数週間前だったそうだ。

 「昏」の字には「見えなくなる」という意味もある。安田顕演じる剛は、「見えねえなぁ、未来なんて」とつぶやきながら、そんな人々のなかを漂っている。仕事を無くし、行き場も無くして故郷へ帰ってきた剛は、彼らに繰り返し、どうしてここにいるのか、と尋ねる。

 剛が最後にたどりつく「俺がここにしか帰ってこられなかったように、皆、それぞれの場所で、ただ生きて行くしかないんだ」という答えは、普通に聞けばあきらめと取れるだろう。けれどこのドラマのなかで、彼のその言葉ははっきりと「肯定」に聞こえる。そしてその答えが見えたとき、剛を包む世界はやわらかく輝いている。

 真夜中の暗闇でもなく、かといって真昼のまぶしさでもない、黄昏時のほっと心が休まるような光。この作品のなかの安田顕は、そんな“昏い光”を放っていた。

 こういう昏い俳優は、なかなかいない。

追記:

本作は安田顕の主演映画『俳優 亀村拓次』特集のなかで2月8日までGyao!で無料配信中。映像の美しさを味わうには少し物足りないが、再び大勢の目に触れる機会があるのはとても嬉しい。未見のかたはぜひ。

「ミエルヒ」

監督/藤村忠寿

脚本/青木豪

企画・原案/嬉野雅道

出演/安田顕、泉谷しげる、根岸季衣、渡辺いっけい、藤村俊二、風吹ジュン、中野英樹、萩原利映、吉本菜穂子、飯塚悟志(東京03)、豊本明長(東京03)、角田晃広(東京03)

制作/HTB北海道テレビ 

2009年

カラー70分

©HTB

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