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想像力の穴と海〜秋の新作7本に寄せて〜


映画「湯を沸かすほどの熱い愛」より

 ハイカロリーな名演に圧倒された余韻はあるのに、気持ちがさっぱりしない。力作そろい踏みの今秋公開映画鑑賞後、そんな状態が続いていた。悶々としていたとき、東京新聞のインタビュー記事にハッとした。

「人間を描くということは、岸の淵に立って暗闇をのぞき込むようなもの。よく見ようと前に出ると、落ちてしまう。表現とは人の心の闇にできるだけ近づきながら、ぎりぎりのところで踏みとどまる理性があってこそ成立する」(2016年9月29日 東京新聞朝刊

 発言者は、新作映画「淵に立つ」(名作! 公開中)が、今年のカンヌ映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞した、深田晃司監督。あぁ私ったら、俳優の熱演に手を引かれて、普段の生活では到底たどり着けないような、広大な世界に出てみたはいいけれども、その闇をのぞき込んでるうちに、うっかり落っこちちゃったんだ! しかし、落とし穴って本当にそれだけか? 

 例えば、公開中の「怒り」(李相日監督)での、フラジャイルな娘・愛子役で新境地を切り拓いた、宮崎あおい。不安定な愛子が時折吐く、父・洋平(渡辺謙)の娘に対する本心を見透かしたような鋭い言葉に、洋平と同じ、弱い人間(の観客)は胸を抉られる。ラストカットで、カメラをまっすぐ見据える愛子が印象的だった。彼女のちょっと怒っているような眼差しは、何に向けられていたのだろう? 田代(松山ケンイチ)との出会いで、大人になった彼女だからこそ、その境地に至る、東京駅での軌跡が見たくなった。彼女が本来持っているまっとうさとは、全く違う何かが、東京駅で生まれたはず、と祈ったからだ。

 かつて宮崎と共に“ダブルあおい”なんて呼ばれた蒼井優も、佐藤泰志の原作を映画化した“函館三部作”のトリを飾る「オーバー・フェンス」(山下敦弘監督/公開中)で、メンヘラのヒロイン・聡を快演した。酔っぱらいホステスの戯れ的なモチーフである、鳥の求愛ダンスに、あれだけの切なさと美しさを込められる女優は、ほかにいないだろう。夜の動物園で、主人公の白岩(オダギリジョー)と摑み合うシーンでは、まだ見ぬ白頭鷲の求愛を彷彿させる、ヒロインの秘めたるガッツに惚れぼれとした。しかし、否、だからこそ。ラストシーンの日、聡はどんな朝を迎えたのだろう。どんな朝を過ごしたせいで、彼女はグラウンドに遅れて到着したのか? このわだかまりには、彼女が野球観戦に来たのは、彼女自身の意志であってほしい(決して薬のせいなんかじゃなく)という希望的観測も込めている。

 先に落とし穴と書いたが、“みなまで説明しなくても、わかるよね?”という塩梅で、肝心なところを観客の想像力に委ねてしまうことで、作り手が穴を掘って隠れたような、あるいは、作品にできてしまった空洞に、観る者の心にも穴があいた心持ちになったというのか。巧い作り手の陥りがちな穴だが、それは深田監督の言葉を借りれば「ぎりぎりのところ」まで近づいた、と言えるのだろうか。「モヒカン故郷に帰る」公開時のインタビューで、主演を務めた俳優の松田龍平(11月3日公開の山下敦広監督作「ぼくのおじさん」では、とぼけたおじさんを好演)は、編集でカットされたあるシーンについて「そのシーンはカットされていたので、目では見えないけど(完成作を観ると)うまいこと編集されていて、その余韻みたいなものは残っているなと思いました」と語っていた。たしかに「モヒカン〜」を観たとき、穴につき落とされたような、戸惑いや淋しさはなかった。

そういう意味では、これから公開される若手監督の新作には、作り手の想像力豊かな海に身を委ねるような、心地よさがあった。中野亮太監督の商業映画デビュー作「湯を沸かすほどの熱い愛」(10月29日公開)では、聖母とも鬼母ともつかぬ、斬新なおかん・双葉(宮沢りえ)が、余命2カ月という時間を、病人にあるまじき全力疾走ぶりで魅せる。残される家族のためにやり残したことを、感傷に流されずコミカルにやり遂げていく、気丈なヒロインが、遂に病床に倒れた後のシリアスから、ラストに向けてのさらなる転調に至るまで、きっちりと見せ切る。過剰気味なところもあるにはあるが、中野監督が撮りたかったラストはチャーミングだし、タイトルにも偽りなし。湯を沸かすほど、情熱的な愛(ヒロインの生への執着も含む)には、むしろこれくらいの厚みがなければ嘘だと納得した。

 山戸結希監督の商業長編デビュー作「溺れるナイフ」(11月5日公開)も、実写ならではの熱量で、突き抜けた青春映画に仕上がっている。主人公コウ(菅田将暉)とヒロイン夏芽(小松菜奈)が、触れそうで触れられない、絶妙な距離感で、熊野古道を追いかけっこする(とはいえ、結構なスピードで!)シーンや、二人のヒリヒリするような恋を見守る友人・大友(重岡大毅)と夏芽の、バッティングセンターでの甘く切ないひとときなど、一見、無駄にも思える時間(人生における、恋という無駄な時間の素晴らしさについては、10月29日公開のインド映画「pk」をぜひ)のフレッシュなディテールを、あますことなく丹念に積み重ねていく構成で、暴力的なほどの激しさと同時に実に傷つきやすく、壊れやすい、青春独特の時間が刻まれる。そのリズムに身を委ねる感覚は、その時間を通過した者にも痛快だ。観ているうちに、青春時代の痛みがよみがえってくる、本作から迸るエナジーは、大友(重岡、ベストアクト)の無骨な存在感にも通じているようで、ますます好感を抱いた。

 観客を海へと誘う、若い監督たちのパワーは清々しく、そして逞しい。少女の体感する光と影は、小松菜奈が表現するから面白い。蒸発した夫の額から流れ落ちる血を、咄嗟にお玉ですくうほどタフな双葉が、どんな風に「死にたくない」と言うのか。それは宮沢りえが演じるからこそ、観客は感動するのだ。そういうことをちゃんと理解した上で、さらに俳優の肉体を通して、具体的な表現になることで生じる(かもしれない)ズレや変化をも恐れぬ、しなやかさを眩しく感じた。家族のために、よく動いていたお母ちゃん(宮沢)の手が動かなくなったとき、思いがけない愛おしさが溢れ出ていた。見たことのないシーンに心が震えた。

「湯を沸かすほどの熱い愛」

監督・脚本/中野量太

出演/宮沢りえ、杉咲花、篠原ゆき子、駿河太郎、伊東蒼、松坂桃李、オダギリジョーほか

主題歌/きのこ帝国「愛のゆくえ」

配給/クロックワークス

製作年/2016年 製作国/日本 カラー125分

10月29日(土)新宿バルト9ほか全国ロードショー

©2016「湯を沸かすほどの熱い愛」製作委員会

「溺れるナイフ」

監督・脚本/山戸結希 脚本/井土紀州

原作/ジョージ朝倉「溺れるナイフ」

出演/小松菜奈、菅田将暉、重岡大毅(ジャニーズWEST)、上白石萌音、志磨遼平(ドレスコーズ)ほか

配給/ギャガ

製作年/2016年 製作国/日本 カラー111分

11月5日(土)TOHOシネマズ渋谷ほか全国ロードショー

©ジョージ朝倉/講談社

©2016「溺れるナイフ」製作委員会

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