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「あのね」でつながる物語


ドラマ「anone」

 坂元裕二の新作ドラマのタイトルが『anone』だと知って、真っ先に思い浮かべたのは『一年一組せんせいあのね』という本のことだった。1981年に出版されたこの本は、小学1年生の子どもたちが「あのねちょう」という名前のノートに書いた文章をまとめた作品集だ。「あのねちょう」は彼らの担任の鹿島和夫先生が始めた取り組みで、毎日、日記を書きなさいといっても何を書けばいいか迷って結局書けない子どもたちに、「せんせい、あのね」という書き出しでその日の出来事や思ったことをなんでもいいから書いておいでといったら、活き活きとした文章が綴られるようになったという。たとえば、こんな風だ。

「おおみそか」

十二月三十一日土よう日 

あしたから らいねんです 

きょうはきょねんになります

「せいるすまん」 

せいるすまんがきた 

「あかちゃんがびょうきですから かえってください」と 

おかあさんがゆうた 

「ほんならおだいじに」と かえっていった 

うちはあかちゃんなんかおれへんのに

「おつきさま」

おつきさまは あんなにちいさいのに 

せかいじゅうにみえる

 見続けていくうちに、その印象はさらに強くなった。『Mother』『Woman』に続く日テレ×坂元裕二脚本ドラマの第三弾という謳い文句ではあるけれど、本作は前2作とは少しちがって全体を貫く大きな物語よりも、登場人物たちそれぞれの日常のなかに転がっている、それこそ「あのね」で始まる小さなお話をいくつも語ろうとしているのではないか。だからドラマで描かれてきた場面は、まるで「あのねちょう」に書かれた言葉のように綴ることができる。たとえば、こんな風に。

「もりのいえ」

もりのなかには おばあちゃんがすんでいます

かめもいます

きのうえのいえは 

やねが ほしのかたちです

「ふとん」

きょう わたしは ふとんでねています

はながらのぱじゃまを きています

やっぱり ふとんは あったかい

「ちっちゃくなった」

ひさしぶりに いえにかえったら

「ちっちゃくなった?」 ってきかれた

ちっちゃくなんて ならないのに

 本作について、何を描こうとしているのかわかりにくい、という意見があるのももっともだ。「あのね」で始まるのはたいてい他愛のない話だし、ときには現実と想像の境界さえも曖昧になる。

 もちろんこのドラマには「本物/偽物」という大きなテーマがあるのも確かだ。長いことハリカ(広瀬すず)を支えてきた幼いころの記憶は偽物だったし、るり子(小林聡美)が一緒に暮らしてきた娘(蒔田彩珠)は生まれなかった幻の子どもだ。ハリカやるり子、舵(阿部サダヲ)たちが亜乃音(田中裕子)と出会ったのも、そして亜乃音が15年も音信不通だった娘と再会できたのも、すべては偽札がきっかけだった。そして4人は擬似家族のように林田家で暮らしはじめ、「偽札作り」という大きな流れに巻き込まれていく。

 そんな偽物だらけの物語だけれど、なにが本物でなにが偽物なのか。偽物のなかにも本物はあるのではないかといった問いかけは、本作ではあまり重要視されていない。

 たとえば誘拐されたハリカを取り戻すための身代金を用立てた亜乃音は、「本当の娘でもないのに、なんでそんなことしたの?」と聞かれ、「なんでだろう」と自分自身でも不思議そうに答える。その、ふわりとした答えはその後、突き詰められることはないが、そこに違和感は残らない。それどころか、偽札作りに手を染めたハリカに向かって彼女は「なにかあったら私がお母さんになってあなたを守るから、離れちゃだめよ」とはっきり伝える。『Mother』では、血がつながらなくても母娘に「なれるのかどうか」がドラマの芯だったが、本作の亜乃音は「なれるか、なれないか」で迷うことはない。彼女にとって問題なのは「なるか、ならないか」だ。

 亜乃音が幼いころから育てた血のつながらない娘・玲(江口のりこ)は、そのことを知って離れていった。それでも亜乃音は母親であること自体に迷いは見せないし、玲もまた亜乃音に向かって、中世古(瑛太)への想いを「間違っててもいいから、わかるといってほしかった」と責めるように甘えてみせる。このとき、玲が「あのね」と話し始めたのは、とても象徴的だ。どれだけ悲しみが深くて、それが怒りに変わってしまっていても、やはり玲にとって亜乃音は「あのね」と語りかけられる母親なのだ。

 対照的に「本物/偽物」にこだわり続ける中世古は、「あのね」ではじまる会話を忘れた男だ。彼が口にするのは偽札作りに関することのみで、まったくといっていいほど無駄話をしない。世間話をしているようでも、彼の話すことはすべて偽札作りにつながっている。前置きもなく滔々と偽札について語る姿は、ハリカたち4人の前に黒くぽっかりと開いた穴のようだ。

 『Mother』が「本物」と「偽物」を隔てる「/」を飛び越えようとした物語だとすれば、本作はその「/」の曖昧さ、意味のなさを描こうとしているのではないか。だからこそ、坂元裕二はその象徴として偽札=貨幣を選んだのではないだろうか。

 完全なものと思いがちだが、貨幣の価値というのは、実際には単なる「信頼」によって成立している。1万円札という印刷物に1万円の価値があるのは、国がそれを保証していて、その国を私たちが信頼しているから。本物の価値でさえ、本質的には「信じるか信じないか」にかかっているということだ。

 それは第4話でハリカがるり子と娘のアオバについて語る言葉にも象徴されている。

「生きてるとか死んでるとか、どっちでもよくないですか?

 生きてても死んでても、好きな方の人と一緒にいればいいのに」

 それが本物でも偽物でも、血がつながっていてもいなくても、自分が一緒に居たい人と居ればいい。そしてその人に「あのね」と話しかけられれば、それで十分幸せなのだ。

「あのね」と話しかけられる相手がいる。それが何より豊かなこと。このドラマを見ていると、シンプルにそう思う。彼らが共に暮らすことになる家の主人を「亜乃音」と名付けた裏には、そんな願いが込められているのかもしれない。

 物語の結末がどうなるのか。余命半年の舵は死んでしまうかもしれないし、偽札作りの顛末として誰かが罰を受けるのかもしれない。

 それでも、まるでおまけみたいに手に入った、「あのね」でつながった幸せな時間の記憶は奪われることはないだろう。それは大切な思い出として、彼らの支えになるしお守りになるし居場所になるのだ。 

「anone」

日本テレビ 毎週水曜日 夜10時00分~

脚本/坂元裕二

演出/水田伸生

チーフプロデューサー/西憲彦

プロデューサー/次屋尚、白川士

音楽/三宅一徳

出演/広瀬すず 小林聡美 阿部サダヲ 瑛太 江口のりこ 鈴木杏 火野正平 田中裕子 他

制作協力/ザ・ワークス

製作著作/日本テレビ

公式サイト

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