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私的名台詞#8「恋愛は科学じゃない」

映画『タイニー・ファニチャー』

 自尊心や感受性ばかり強いくせに、大事なものがまだ自分の中心になくて、自分の中で基準もないような、足もとがぐらつく時期がある。当時の自分がどれくらい無力でバカだったか、いやというほど知っているからこそ、その渦中でもがいている人を見るのは、正直しんどい。

 大学卒業後、進路も決まらず「完璧な彼氏」とも別れて、ニューヨークの実家に戻った本作の主人公・オーラの場合、その憂鬱の一因には、芸術家として成功した母シリと将来有望な妹ネイディーン(本作の監督、脚本、オーラ役を務めたレナ・ダナムの実の母親と妹が演じるという最高の説得力!)に対する気後れがあった。

 自分の自信のなさを、他者、すなわち男で手っ取り早く埋めようとするオーラは、母と妹が留守の自宅に、パーティで知り合った「知的で軽妙な」ジェドを泊めるという強攻策に出たが、進展はまるでなし。さらにはちょっと気になっていた文学系シェフ・キースにもデートをすっぽかされ、傷心というよりは放心状態で帰宅した後、なおキースとの恋を前向きに捉えるべきか? とうじうじする彼女に、ふてぶでしくも居候中のジェドが言い放ったのが、今回の名台詞。

 待ちぼうけを食らわされた時点で、分析の余地すらないことを「僕は悩んだりしない」と明快なジェドもまた、オーラの不安に十分つけ込んでいるのだが、そんなことにも気づかぬ小娘は、どんどん手詰まりな状況へと追い込まれてゆく。

 自分の無力さにひとりでのたうち回るしか術のない、一般的なこじらせ女子映画と違って、本作がおもしろいのは、一緒に暮らす母親とのつながりが、オーラの世界を構築していく足場となるところだ。母の存在があるからこそ、揺らぎっぱなしの彼女のイタさが、とても愛おしく感じられる。

 オーラの母は、自分の世界をしっかりと持っている。実家であろうと、同居する以上は朝食の時間に起きるべきだと主張し、娘と言えども、いつでも自分のベッドで眠ることを許さない。ジェドの才能についても「軽妙だけどまぬけ」と手厳しい。白い棚いっぱいに大切なものを持ち、いまの生活を愛しているシリは、あやふやな不満を抱えたオーラと不穏な雰囲気にもなるのだが、ひどい目に遭った娘を、自分のベッドに招きいれるやさしさも持ちあわせている。

 物語の終わり、ママのベッドに再びオーラがもぐりこむ時、これまでとは違う、穏やかな顔になっていた。この微妙な変化も、科学のように分析できない類のものだ。まだまだ迷ったり、悩むことも多いかもしれないが、彼女の小さな世界はここからのびていくのだろうという可能性に、ワクワクした。

『タイニー・ファニチャー』

原題/Tiny Furniture

監督・脚本・主演/レナ・ダナム

製作/カイル・マーティン、アリシア・ヴァン・クーヴェリング

撮影/ジョディ・リー・ライプス

音楽/テディ・ブランクス

出演/ローリー・シモンズ、グレース・ダナム、ジェマイマ・カーク、デヴィッド・コール、アレックス・カルボウスキーほか

製作年/2010年 製作国/アメリカ カラーシネマスコープ 99分

配給/グッチーズ・フリースクール 

2018年8月11日(土)より、シアター・イメージフォーラムにて公開 

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