初めて母と映画を

 最初にお断りしておくが、これはレビューではない。骨のある社会派映画について、こんなにセンチメンタルな文章も少し的外れかもしれない。しかし、映画についての、ひとつのエピソードとして記しておきたかった。  7月某日金曜日の午前中、病院で診察を待っていると、となりで新聞を読んでいた母が「ねえ、この映画は観たの?」と聞いてきた。「試写に行ったけど、満席で観れなかった」と私。「ふーん。是枝さんのコメントもあるよ」と母(樹木希林さんのファッションが好きだったので、是枝裕和監督の名前も知っているのだ)。母の名前が呼ばれて、予定より約1時間遅れの診察を受ける。病院で母と別れて、そのまま仕事に向かった。

 翌日、夕食の準備をしている時に、ふと思い出して「昨日の新聞に出てた映画、観たいの?」と母に尋ねると「うん。でも近所の映画館ではやってないみたい」と言う。日曜日、渋谷のユーロスペースに一緒 に行くことにした。  四国で生まれ育った母が上京して、まもなく15年になる。 私の記憶の限りでは、日々忙しく、テレビを見る暇もなかった母は、映画とは無縁の人だった。やがて日常の避難場所として映画館に逃げ込む術を覚えた私は、母と映画を観ることを無意識に避けてきた。

 一方の母は上京後、しばしば映画館へ出かけるようになったが、私の仕事関連の映画や孫のお伴のアニメ、趣味的なところで言えば『シネマ歌舞伎』くらい。『新聞記者』が観たいとは、ちょっと意外だった。

 雨の中、Bunkamuraへと続く坂道を、傘を差して歩く母は、人混みの中でびっくりするほどちいさかった。この数年間でずいぶん痩せてしまったので、約2時間、同じ姿勢で映画を観るのも正直つらそうだった。途中で足をさすったり、お茶を飲んだりしていた。それでも内閣情報調査室でのシーンで、スキャンダルを捏造するくだりでは「ああっ」と納得の声を漏らしていた。満員の劇場には、母とおなじくらいの世代から、バーゲン帰りの若いカップル、小学生の親子連れの姿もあった。いろいろな世代の人たちと息を呑みながら、この映画を観たことを、なんだか心強く感じた。  帰り道、エンドロールで私がひとつ疑問を抱いたことについて、母がいともあっさりと答えをくれた。一人で観ていたら、気づけなかったことだ(そもそもいい年をして、私には知らないことが多すぎるのだが)。久しぶりに71 歳の母を格好いいと思った。

 改めて松坂桃李さんに感謝したい。これも最近知ったことだが、母はわかりやすい面食いなのだった! 新聞広告の左端に書かれた「松坂桃李のラストの演技が凄い。」の文字に魅入る母の横顔を、娘は見逃さなかった。

『新聞記者』 監督/藤井道人 脚本/詩森ろば、高石明彦、藤井道人 音楽/岩代太郎 原案/望月衣塑子「新聞記者」(角川新書行)、河村光庸 出演/シム・ウンギョン、松坂桃李、本田翼、岡山天音、西田尚美、高橋和也、北村有起哉、田中哲司ほか 

配給/スターサンズ、イオンエンターテイメント 製作年/2019年 製作国/日本 カラー113分 公開中 https://shimbunkisha.jp/

©2019『新聞記者』フィルムパートナーズ

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