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音楽と映画 #1 <br> 「母と暮らせば」

 山田洋次監督が、84歳にして初めてCGを駆使して作った、話題のファンタジー映画『母と暮せば』。故・井上ひさしの、広島を舞台にした戯曲「父と暮せば」の対となる本作では、長崎を舞台に、原爆で息子を亡くした母・伸子(吉永小百合)と、息子・浩二の幽霊(二宮和也)とのやさしい時間が描かれる。

「父と〜」では、自分だけが生き残ってしまったと、負い目を抱えた娘の美佐枝が、原爆で亡くなった父・竹造の幽霊の、娘の幸せを願う温もりにふれて、明日への希望を持つようになっていく。本作で、美佐枝の役割を担うのは、伸子ではなく、浩二の恋人だった町子(黒木華)だ。「父と暮せば」(新潮社刊)のあとがきに書かれた、井上の言葉を借りるなら、町子もまた、幸せになってはいけないと“自分をいましめる娘”だった。

 映画は、終戦から3年後の長崎が舞台となる。夫も長男も、次男の浩二までも亡くして、失意の伸子をずっと世話してきた町子。伸子も浩二も、町子の幸せを願う気持ちに嘘はないが、それはすなわち、浩二の死を受け入れるという、二人にとって過酷なことでもあった。「父と〜」より複雑な設定で、町子が、禁じていたはずの恋にふと落ちてしまうきっかけを作るのは、ドイツ・ロマン派の作曲家メンデルスゾーンが1844年に作った名曲「ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64」だ。

 町子が教師を勤める、小学校で開いたコンサートで、この曲が流れたとき、泣き出した先生がいた。事情を聞けば、この曲を聴き、最期を覚悟して出征したのだという。もう二度と聴くことのできないはずだった、メンデルスゾーンを聴いたら、胸がいっぱいになったという彼こそが、後に町子の婚約者となる黒ちゃん(浅野忠信)だった。多くの戦友と死に別れ、彼自身も大怪我をしたものの一命を取り留めて帰国し、教師になった。

 町子が恋に落ちてしまうのも不思議ではない、優美なメロディではじまる「ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64」。いまもヴァイオリニストたちに憧れ、愛されている、メンデルスゾーンの代表曲は、全曲休みなく演奏するという、斬新なスタイルで構成された、技巧的で、威厳に満ちた楽曲だ。この曲はまた、町子と浩二の幸せな思い出の曲でもあった(結婚式では、メンデルスゾーンの結婚行進曲を流そう、という話が出ていたらしい)。浩二が大事にしていたレコードが、町子と黒ちゃんを結びつけるとは、なんとも切ない。

 国を越えて、浩二や黒ちゃんら、はるか遠く日本の若者まで魅了した才能豊かなメンデルスゾーンだが、時代の風潮に翻弄され、厳しい運命を背負わされた音楽家でもあった。その出自から、反ユダヤ主義の攻撃にさらされ、ワーグナーらの悪意のある曲解によって、長年蔑視され続けた。ナチス・ドイツ時代には、演奏も禁止され、戦後も西洋音楽の世界では、長くその存在を黙殺されてきた。流麗な音楽にも、戦争の暗い影が落ちていたのだ。

 映画は、登場人物たちが集う、神秘的な教会のシーンで、ラストを迎える。メンデルスゾーンが流れる中、町子と黒ちゃんの結婚式か? などという、短絡的な妄想が一瞬頭をよぎったが、山田監督らしい、リアルな着地点だと心底納得した。

 作中、闇商売を営む上海のおじさん(加藤健一)から、浩二のレコードを売ってほしいともちかけられ、それまで年増女のふてぶてしさで、のらりくらりとつきあってきた伸子が、きっぱりと断る少女のような清潔感も眩かった。美しい音楽には、人を素直にさせる力があるのかもしれない。

今回紹介した曲

「ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64」

作曲/フェリックス・メンデルスゾーン

『母と暮せば』

監督・脚本/山田洋次 

出演/吉永小百合、二宮和也、黒木華、浅野忠信、加藤健一 

配給/松竹 

12月12日より丸の内ピカデリーほか全国ロードショー

(c)2015「母と暮せば」製作委員会

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