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たこ八つ〜井伏鱒二「画本 厄除け詩集」から『俳優 亀岡拓次』まで


 元旦の朝、年末にSさんから贈られた、井伏鱒二の「画本 厄除け詩集」(12)を朗読した。厄除けや風邪よけのまじないとして、詩を書いたという井伏の詩は、煩わしさなどを笑い飛ばしてしまうドライさに溢れ、見開きを目一杯に使った金井田英津子の画の、濃やかで渋みのあるタッチもカッコいい。昭和12年から、再刊ごとに詩を増やしていった「厄除け詩集」に、「訳詩」「拾遺抄」を加えた30編の中で、特に心に響いたのは「逸題」。声に出したとき「春さん蛸のぶつ切りをくれえ」のくだりが、なんともユーモラスに感じたのだ。続く「ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ」のそこはかとない色っぽさ。おせち料理にも欠かせぬタコは、多幸(たこ)から幸せを呼ぶという願いが込められた、縁起のよい食べものである。……というわけで今回は、タコにちなんだ作品をいくつか紹介したい。

 タコといえば、まず外せないのは田辺聖子の小説だ。田辺氏の半生をモチーフに、藤山直美がヒロインを務めたNHK朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」(06)。ひょうきんなタイトルは「とかく女の好むもの 芝居 浄瑠璃 芋蛸南瓜」という井原西鶴の言葉にちなんだものらしい。ヒロインが少女時代を過ごした昭和10年代のお正月には、大阪湾で取れた生きのいいタコの、足を一本ずつ串刺しして、大鉢に盛りつけたごちそうが用意されたのだとか。うまいもん好きで知られる氏の小説には、ストーリーの鍵となる食べものがしばしば登場するが、大阪の味にささやかなこだわりを持つ、8人の中年男たちの情をまろやかに綴った短編集「春情蛸の足」(87)では、おでんのタコやたこ焼き(「たこやき多情」)が登場。読み進むうちに、ほろ酔い気分が味わえる。

 川上弘美の小説「センセイの鞄」(01)で、ツキコさんとセンセイが、蛸しゃぶを食べる「島へ その2」の章も、鮮やかな筆致に舌を巻く。透けるように薄く削いだタコを、たぎった湯の中にひらりと落とし、浮いてきたところをすかさず食べる。恋に不器用な二人が、タコしゃぶの「玄妙な味わい」に舌鼓を打ち、盃を重ねながら、口数少なく夜を過ごす様子が微笑ましく描かれる。

 古くから蛸薬師や蛸地蔵など、日本では神様として祀られてきたタコは、食用以外にも親しみのある存在だ。映画『おおかみこどもの雨と雪』(12年/細田守監督)で、興奮するとおおかみに変身してしまう子どもに、お母さんが教えたおまじないの言葉は「おみやげみっつ、たこみっつ」。これは、昭和初期の童謡「おみやげ三つ」の冒頭の歌詞で、西條八十が作詞したもの。遊びを終えた子どもたちが、背中をぽんぽんとたたき合い、別れる様子を歌っている。

 あるいは「タコの八っちゃん」「タコ入道」に「タコ坊主」、「このタコ!」なんて叱られても、どっこい憎めない愛嬌もある。宮藤官九郎脚本の名作ドラマ「木更津キャッツアイ」(02)に登場する、主人公・公平(岡田准一)たちのマドンナ・美礼先生(薬師丸ひろ子)が、女子生徒のヴィトンのバッグに生タコを押し込むエピソードも名シーンだった。ザリガニに蛙、爆弾騒ぎなどなど、子どもじみたいやがらせでうっぷんを晴らす、美礼先生の、愛すべき存在感を象徴していた。

  ヨーロッパやアフリカでは、タコを「デビル・フィッシュ」と呼び、忌まわしい生き物とする地域もある。1870年に発表された、ジュール・ヴェルヌの冒険小説「海底二万里」には、体長8mもの巨大タコが、主人公たちを乗せた潜水艦「ノーチラス号」を襲うシーンがある。長年、恐怖の対象となったのも、深海にひそむタコの生態には、いまだに謎が多いためだろう。

 映画『ショート・ターム』(13年/デスティン・ダニエル・クレットン監督)で、父親の虐待を言葉にできない少女ジェイデン(ケイトリン・ディーヴァー)は、タコのニーナを主人公にした童話を作って、ケアマネージャーのヒロイン・グレイス(ブリー・ラーソン)に聞かせる。友だちの作り方がわからないニーナは、サメに求められるまま、自分の腕を一本ずつ食べさせてやり、最後は食われてしまうという、切ないストーリーだ。ジェイデンは、単独行動を主とし、海底でひっそり暮らすタコに自身を投影していたのかもしれない。

 年始早々タコが気になったのには、昨年末に試写で観た、ある映画のタコ料理が印象深かったせいもある。映画『俳優 亀岡拓次』(16年/横浜聡子監督)で、主人公の亀岡(安田顕)が、居酒屋の若女将・安曇(麻生久美子)と親しく言葉を交わすきっかけを作ったのが、タコブツだった。偶々テレビに映った、スペインのタコ料理を見て、熱燗と共に思わずタコブツを注文した亀岡の酒に、気持ちよくつき合う若女将。すいすい杯を空けていく安曇さんの、蛸のように透き通った白い肌が、日本酒でほんのりと桃色に染まっていく艶っぽいことったら! 公開は1月30日から。

 年のはじめに、タコ八つ。おせちのタコには、弾力があるタコのように、ねばり強く物事に取り組めるように、という意味もあるのだとか。2016年も、どうぞよろしくお願いします。

「画本 厄除け詩集」

著者/井伏鱒二

画・造本/金井田英津子

長崎出版

発売日/2012年10月1日

2000円(税抜)

『俳優 亀岡拓次』

監督・脚本/横浜聡子

原作/戌井昭人「俳優 亀岡拓次」(フォイル刊)

出演/安田顕、麻生久美子、宇野祥平、新井浩文、染谷将太、三田佳子、山崎努ほか

製作年/2016年

製作国/日本

配給/日活

カラー123分

1月30日(土)テアトル新宿ほか全国ロードショー

©2016『俳優 亀岡拓次』製作委員会

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